ベタ甘でいい

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長いことしょっぱい人生を生きてきた。
塩辛い、あるいは苦い。

いつだったか、だから私は甘いものがこんなに好きなんだということに思い至った。
人生に甘さが足りなかったから。
ぜんぜんまったく、決定的に足りていなかったと思う。

Sweetness
あまさ

甘やかされて育った覚えがないし、
だれかに甘えた覚えもほとんど記憶にない。

人から見て「甘ったれてる」と思われることとはまったく別の話で、
私の人生の中、私の感覚の中には甘さがなかった。
別の表現では私のオーラの中に。
その人のオーラの中にあるものがそのまま写し出されたものがその人の現実世界になるから、
私が現実を甘くないものとして体験してきたのは当然だったといえる。

もうだんだんと遠くなってきているけれど、
この人生でくりかえしくりかえし涙を流してきた。
しょっぱい涙をたくさん。
それは大きなダムができたんじゃないかと思うほどの反復度だった。
(けれどその泣き姿を人に見せることはほぼなかった)

しょっぱい人生を変え始めたのはここ最近で、
少しずつ少しずつ、自分のオーラの中に入っていたものを流し出していっている。
端的に言うと、しょっぱさとは自分に向けられた厳しさ。
自分を切り刻む刃のようなもの。

甘いという言葉には、
「心地よくうっとりさせるさま」
「厳しさや鋭さに欠けているさま」
「なまぬるい 手ぬるい」
という意味もあるらしい。

そうそうそれそれ!
それこそ私がずっと人生で必要としてきたもの。
だからわたし甘いものが好きなんだ。
道理だわ。

自分に向けられていたしょっぱさは、自分の性格でも性質でもなかったらしい。
たんに外から入ってきてしまったもの、あるいは最初から埋め込まれていたもの。
自分のものではなく人のものだったのだ(!)
そのことにずっと気づかず私はしょっぱさで自分を包み、しょっぱさで自分の人生を包み、しょっぱい人生を生きてきた。
その人生がどうだとかこうだとか言うつもりはもうなくて、
ただそういう人生だったなあ、そうだったのだなあ、
でもちっとも私の好みじゃなかったんだなあ、
そのことに気づいたから違う選択をすることにした。
それだけのこと。

気づけてよかった〜!

息吹が赤ちゃんのころ、とにかくすべてがかわいくて仕方なかった。
目に入れても痛くないってああいうこと。
今もその感覚にたびたびなっていて、(というか毎日)
見ているだけで、なんてかわいんだろ、なんでこんなにかわいいんだろうって思う。
姿かたち、言うことなすこと、笑ってるときはもちろん、怒ってるときも泣いてるときもぜーんぶ。

あ〜かわいいな〜 かわいいなぁ〜
そう思っているときの私の感覚は甘い。
甘さにあふれている。
甘々のベタ甘になっていると思う。

このまえ苺のジャムを作ったとき、手元にレモンがなかったので苺と砂糖だけで煮た。
砂糖はひかえめにしたけれど、仕上がったジャムは予想どおりの甘さだった。
締まりのない甘ったるい甘さ。
翌日にレモンを取ってきてジャムを煮直したら酸味の効いたバランスのいい甘さになったけれど、
息吹は、「これはいぶきむきじゃない」と言った。
酸味を効かす前のただ甘い苺ジャムの方が好きだと。

そうだよね、そうだよなあ。
大人の私はもうただ甘いだけの苺ジャムには物足りなさを感じてしまうけれど、
これもまた道理だと合点したのだった。

私がずっと求め続けていた甘さを、
これからは自分で自分にあげていけばいいんだと思ってる。
しょっぱさの代わりに甘さで自分を包み、人生を包み、生きていけばいい。

甘くていいよね。
しょっぱさはもういらない。

ベタ甘でいい。

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