リトリートとは、
忙しく過ごす日常生活から一時的に離れ
心身をリフレッシュして自分と向き合う時間を過ごす旅のこと
を言います。
いわゆる旅行や、ただ休息やリラクゼーションを求める旅とも違っているのは自分と向き合うという点かもしれません。retreatの語源ははっきりわかりませんが、 [re-(再び) treat(扱う)] という言葉が浮かびます。
ふたたび扱う − 扱いなおす
何を?
自分を。
ゆえに、 リトリートとは自分を扱いなおすための機会であると捉えています。
そのための施設、場所、時間、仕組みを作りたいなと思い始めたのは十数年前のことで、なぜその図が描かれたのか覚えていません。
が、自分でもそれが一体どのようものなのかよくわかっていないながらに、やりたいことの本質だけははっきり掴んでいたのだろうと思います。
そこから時を経て、いろいろな形を通って、目の前に現れてきたのが今です。
自分と向き合うというとなんだかきびしい印象を感じるかもしれませんが、もっとしっくりくるのは、 「自分と過ごす」だと思います。
生まれてこのかた自分と過ごしてきたはずなのに、いつからか、どこからか、自分と過ごすことがなくなっていくという不思議な時代に私たちは生きています。
と同時に、自分と過ごすことから離れていた時代から、自分と過ごすことへふたたび歩み寄っていく、その大きな折り返し地点にいるようにも思います。
むずかしいことはなにもありませんが、ポイントが2つあります。
旅へ出ると、あたらしい風景、あたらしい食べもの、あたらしい体験と、私たちの意識のアンテナは外へ外へと向かいます。
それは自然なことですが、リトリートではそれに留まらず意識のアンテナを内へ自分へと向けるようにします。
もうひとつは感じることです。
私たちのほとんどだれもが −赤子や幼児でもないかぎりは− 頭を使って考えることをしすぎているので、感じるという機能は少なからず退化しています。
もしくは本来のものよりもだいぶ閉じていると思います。そこで、通常モード機能の [考える] を [感じる] へスイッチングします。
内へ
感じる
この2つのスイッチングがポイントです。
それをするための仕掛けとして、いつもとは違う空間と時間が用意されています。
日常とは離れた場所にある、日常とは違う空間。
時間も大切で、そこにもスペースを持たせます。
あまり短い時間の中ではスイッチングが起こりませんし、その作用を響かせるところまでいかないため、一定の時間のかたまりがあるといいなと思います。
時間の中で、まずはそれまでの ‘型’ が少しずつゆるみ、ほどけ、溶けていきます。
やがてあらたなスペースが生まれてきます。
余白です。
余白があってはじめて姿を表してくるものがあります。
それが何かはそこへいってみないとわかりません。
人によって違うのはもちろんのこと、
それがなんであるかは誰にもわかりません。
体験する自分以外には。
それこそが命の醍醐味なわけですが、
もしなにか共通しているものがあるとすれば、
自分に還る(かえる)ことかもしれません。
このリトリートが、あなたが自分に還るためのきっかけとなれば幸いです。
※現在準備中です。詳細は順次アップデートしていきます。

拾う 集める

お茶と会話