あとからじわる

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昨日の朝のことだったか、
息吹が庭の隅にしゃがみ込んでなにやら真剣にゴソゴソやっていた。

午前中に出かける予定があったので私はやる事に追われていつものように忙しくしていた。
「いぶちゃん、なにやってるのー?もうすこしで出かけるから準備してよー」と声をかけると、

「ダンゴムシにくんれんしてるー!てきにおそわれたらにげれるように」

というような事を言っていた。
えぇ?ダンゴムシに訓練?なにそれウケると思いつつも、
出かける前に洗濯物を干したい、アレもしたいコレもしておこうとすぐに目の前の忙しさに戻った私。

そのことをさっきひとりでいた時に思い出して、
「そういえばダンゴムシに訓練してるとか言ってたよな。あああれか、一昨日のダーウィンの番組で飼育員が孤児のオラウータンの子供たちに天敵のヘビに襲われることを想定して訓練してるっていうのがあった。あれを真似したんだな。ちょーウケる!」と、じわじわおもしろさが吹き出してきてしばらくのあいだ一人で笑っていた。

ふと我にかえる感じ。

その時は意識が別のところにいっていて目の前のことをその場で十分に味わえないんだけど、あとから我に返って反芻し、そのおもしろさや可愛さに気づくということがけっこうある。こと息吹の言動に関してはそんな風にあとからじわることが多い。
今回も遅れて時間差でその真価に気づいて、

ああーなんておもしろいんだろ!ダンゴムシを訓練するなんて!?
しかもちょー真剣にやってたよね。ちょーかわいい!おもしろいなー!
いぶきってほんと最高だな、イケてるな〜!

と、ひとり脳内賞賛の会がくり広げられた。
さらには、「ダンゴムシを訓練して何になるんだ?とかそういう発想は一切ないし、このあと予定があるっていうこともちっとも気にせずただそのとき自分が思いついたやりたいことに迷わず没頭できるなんてほんとすごい。子どもってほんとすごいなあー」と感心は深まるばかりだった。

あとからでも気づけたのはほんとによかったけど、
できればもうちょっとその時に、at that momentにすぐそれを見つけられる自分でありたいと思ったりもする。

あとからじわるのも楽しいけどね。


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