合宿で一週間ほど滞在していたのは、
北海道駒ヶ岳や大沼公園に近い函館の自然豊かなエリアだった。
周囲をぐるり緑に囲まれた広い敷地に建つホテルをほぼ貸切にして、専属シェフたちの作ってくれるおいしいヴィーガン料理を毎日いただき、夜は温泉に入る。
日常や外界から離れて、家族ともほとんど連絡を取らずに、仲間たちとひたすらエナジーワークにロックオン。
そんな特異な時間を過ごしたのち、
ホテルから空港へのバスの中で、羽田に向かう飛行機の中で、都内を移動する地下鉄の中でも、私はくりかえし何度も何度も確かめるようにしながら感じていた。
自分のからだの軽さを。
からだの内側にある軽い感覚を。
なんだろうこの軽さは。
なんてかるい。
まるでからだから密度が抜け落ちたよう。
実際のところは、身体は過酷な状態でもあった。
長い旅の前にはいつも、家のこと、娘や猫たちのことなど、自分が不在の間の申し送りやセッティングでやることは山ほどあり、しかも出発の日の朝まで宿のお客さんが入っていた。
合宿に来たら来たで、夜な夜なルーミーとのおしゃべり。久しぶりに再会する仲間たちとのお楽しみの時間も忙しく、ゆっくり寝てもいられない。
だから寝不足状態はかなり極まっていたのだけれど、なぜだかからだが軽かった。それもこれまでに味わったことのないような軽さ。
私の感度は研ぎ澄まされていたと思う。
そんな状態で銀座のど真ん中に飛び出したものだから、その強烈なコントラストが浮かび上がらせたものを即座に捉えた。
銀座のビル群とおびただしい人たちを見ていて浮かんだのは、
excess
という言葉。
頭の中で、エクセスという音がリフレインされていた。
意味を調べるとweblioにこう書いてある。
過多,過剰,超過,過度,度を過ごすこと,
行きすぎ(た行為),不行跡,乱暴,暴飲暴食
そうそう、それそれ。
あれは何かが“過”なんだな。
欲求と欲望は違う。
欲求はもともと生命に備わったもの。
主に身体にひもづいていて、
いったん満たされると着地する。
欲望はあとから人間に生じたもの。
主に脳にひもづいていて、
終わりがなく無限に増殖する。
もっと
もっともっと
じゃあ、出口はどこにあるの?
ここにある。
自分のいちばん近く、
このからだの内側に。
それが答え。
出口はどこにある?

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