クリエイティブ100%

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あるとき、
エナジーワークの校長にエネルギー(オーラ)を観てもらう機会があった。

どんな質問をしたのかはっきり覚えていないが、自分の魂の持っている性質、才能、ギフトを見てほしいというような問いだったと思う。

そうしたらこう言われた。


「クリエイティブ100%」


「息してるだけでクリエイティブ」


えーっ!?
驚き。

でも同時にそうなんですとも思っていた。

私はこれまで自分を‘クリエイティブなタイプ’というカテゴリーに分類して生きてきていない。
幼少後にはじめて獲得したアイデンティティは「勉強のできる子」とか「優等生」みたいな類だったし、
成長して他人との関係性がくっきりしていくうちにいつからからか、「話を聞いてあげる人」「お世話をする人」や「癒し手」「ヒーラー」みたいなポジションに自分を置いていった。
もちろんこれは自分がこのコンセプトをはっきり意識して生きていたということじゃない。
あくまでも漠然となんとなくそういうところに自分を位置づけていたという意味だ。

人の話を聞いたり、言葉をかけたり、
そういうことは自分の特性や特技の一つではあると思うけれど、
自分がそういう分類に自分を置いていたのは、
相対的な価値観から生まれたことだったように思う。

社会にはこういう人たちがいる。
みんな(人)ってこんなふうなんだな。

まわりを見回し、
客観的な視点が生まれる。

自分がぼんやりとでも自分に対して持っていた認識とは、あくまでも他との関係性から生まれたものであり、全体というものがあった上での役割やポジションだったのではないだろうか。
世界ってこんなふうなのね、それでいうと私はこのあたりかな。
ゆえに自分のことをクリエイティブな人間と認定したことはなかったのだけれど。


じゃあクリエイティブってなに?


絵を描くことがクリエイティブ?
アートを専攻してるからクリエイティブ?
デザインを仕事にしているから?
何かを作っているから?
表現してるから?

本当にそうだろうか。
そんなに狭い(ケチな)話だろうか。

世の中にはクリエイティブな職種があり、
クリエイティブな人間というものがいる。

私たちが漠然とそう認識していることは、
必ずしも真実とはかぎらない。

真実はいつだって
もっとシンプルでもっと奥深いのだ。


「あなたはクリエイティブ100%」


そう言われて私は認識をあらためた。
校長先生に言われたからじゃない。
それが真実だと気づいたから。

ふりかえれば私はいつだってクリエイティブだった。
料理したり、ものを書いたり、器を作ったり、お菓子を焼いたり、花を飾ったり。
色々なものを作り創造してきたけど、そこだけがクリエイティブだったわけじゃない。

お皿を洗っている時だって、
シンクを磨いている時だって、
物置を片づけている時だって、
トイレを掃除している時だって、
道を歩いている時だって。

いろんな瞬間にクリエイティブは生まれていた。

だって息してるだけでクリエイティブなんだから。

私がいて、
なにかを感じて、
そのレスポンスとして何かが生まれる。
そのぜんぶ。

クリエイティブな人間と、
クリエイティブじゃない人間がいるわけじゃない。

クリエイティブに生きることと、
クリエイティブに生きられないことはあるかもしれない。


人はみんなクリエイティブ。

息しているだけでクリエイティブ。

生きてるだけでクリエイティブ。


そうなんだ。


そうだった、
そうだった。


私はこれからも息をする。

クリエイティブ100%で生きていく。

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