いい予感

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もうすぐ2025年が終わります。


昨日、あいちゃんにお年賀のつもりでお蕎麦とうどんを届けたら、お返しにあいちゃんお手製のきれいな〆縄と馬飾りをもらった。

馬飾りの脚をつやつや光る精麻(せいま)で結び直してくれて、〆縄には千両の赤い実と南天の葉を飾ってくれて、お正月にふさわしくすっきりと清々しい美しさの小物たち。
見るからに縁起がよさそう。

〆縄を飾るのは29日はよくないらしく、
31日だと「一日飾り」になってこちらもよくないらしく、
だから30日に飾るのがよいとのこと。

それで今日、
馬は玄関の靴箱の上、
〆縄は納屋の陶房の土壁を背景にして飾った。

それだけでもう、空気が違う。


私は昔から大晦日が好きで、
一年の中でいちばん好きな日かもしれない。

クリスマスよりも誕生日よりも、
いちばん気分が高揚するのが大晦日の夕方から夜。
年が明けてお正月が始まってしまうと途端にテンションは下がり、
少々白けた気持ちになってしまう。

なぜなのかはよくわからないけど、
大晦日が大好き。


今年は11月に一ヶ月くらいかけて断捨離をした。
佐藤真美さんのWS<ゼロの季節2025>に参加をしたのだ。
一ヶ月をかけて集中的にモノを手放したから、
その効能で早めの大掃除もわりあいにできてしまった。

それでいちど家がだいぶすっきりしたのに、
冬休みでいぶきとみなぐがリビングに巨大なダンボールハウスを作り、それに占領されていてまた部屋がカオスに逆戻り。

でもまあいいや。
トイレとお風呂と換気扇は掃除したし、
今日はお正月飾りも飾れたのだからこれでよし。

それでいま、これを書いている。


2025年はどんな年だったか?


私はとても大きな決断をした。
12年のサイクルが完結するような。
(実際には2007年から始まった18年間の一つの章を閉じた)

その幕引きを自分でした。

この幕引きは何年にもわたって私の中で進行してきたことなので、急な決断ではなかったのだけれど、それでもとても大きな決断だったとは思う。

今の気持ちは、
ああ、ひとつの時代が終わったんだなあ
という感じ。

現実が大きく変わったわけではないから、
まだ実感がないのかもしれない。
どこかぽっかりとしている。


時はすぎていく。

時はすぎていくのだなあ。

どんな時間もかならず過ぎていく。

平等に。



そうして新しい時がやってくる。

やがて新しい時間がやってくる。

まだ見ぬ時がやってくる。

これも平等に。



2026年はどんな年になるのだろう?


その予感はもうありますか?


私はあります。
とてもいい予感が。


それはやわらかくて、

ふんわり広がるようでありながら、

その実はとても熱く燃えているようだ。


それはいい予感でしかない。

もう、いいようにしかならない。

よくにしかならない。


来年は丙午(ひのえうま)らしく、
60年に一度なのだとか。

なんて楽しみなことだろうか。


あいちゃんの作ってくれた馬飾りは尻尾がシュッとのびていて、
それが私にはロケットの噴射のように見える。

これは天を翔ける馬だ。

私もこの馬のように天を翔けよう。


のびのびとどこまでも


天を翔けよう

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